お客様は神様ですもの

最近、というか割と長いことあまり本を読んでいない。
たまに読むけれど集中できない。
うーん。
本好き、とはもう言えない気がする。
今は「邪魅の雫」が通勤鞄の中に入ってはいるけれど、なかなか進まない。
重いのに。おっもいのに。
気が向いた時だけ読む。
今日は珍しく帰りに少し読み進めた。
立ちながら。おっもいのに!

―愚かだ。
 そう。
 大鷹はそうした内面の声を聴くことがある。
 思春期を迎えた頃から、その声は頻繁に大鷹の頭の中に鳴り響くようになった。
 愚かだ、愚かだと声にならぬ声は大鷹の空っぽの頭の中に響き、胸の裡の混沌を掻き回した。
 ただそれは、己の思考や行動を愚かしく感じると云うのとは少しばかり違う。誰かが自分を愚かだと思っている―ような気分と、自分が誰かを愚かしく感じている―ような気分が、綯い交ぜになってやって来るだけだ。
 反省している訳でも、自己を客観視している訳でもない。まるで他人事のようにそう思う。思っている自分と思われている自分は乖離していて、どちらが主体かは判別できない。
 気分なのだろう。
 気分なのだから、何処がどのように愚かなのかは詳らかには判らない。
 頭が悪いと云う意味ではないように思う。
 大鷹は物事の構造を立体的に理解することは不得手だが、記憶力も理解力も人並みにはある。とびきり良くはないけれど、驚く程悪い訳でもない。
 ただ、複数の情報を関連付けて論理を構築することが出来ない。
 苦手ではなく、出来ない。纏めることや順序だてることが出来ない。
 結局は大雑把に理解するよりない。だから、愚かだと云う気分にはなるものの、瞭然莫迦だと認識することも出来ないのである。
 知ってはいるが理解は出来ない。だから知らぬ振りをするしかない。情報は混沌としていて、頭の中は空である。
 ―愚かだ。

京極夏彦邪魅の雫」 115ページ12行目〜116ページ9行目より)


こ、これ私のことですか…。
しばらく電車の中で狼狽。
そしてこんなに長いこと引用したにも関わらず、なんていうか、これ以上言いたい言葉が見つからない。
薄ぼんやりと大雑把に自分みたいだなあと。
これも愚かたる所以か。
京極堂シリーズは割と自分のネガティブな部分がシンクロして困る。
特に関口くんとか。
でもやはり面白い、京極夏彦
早く京極堂の講釈が読みたい。