トルコの旅8日目

chianchun2008-05-14

今日は一日イスタンブールの市内観光。
見所が殆ど隣り合ってひしめいているので移動距離はそんなにはない。
ただ、イスタンブールの道はいつも渋滞している。そして車間距離がほとんどない。
…怖い!




スルタンアフメット・ジャーミィ (通称ブルーモスク)
大きなドームと鉛筆型のミナーレをもつ、トルコを代表するイスラム寺院
スルタンアフメット1世の命を受けて、1616年に建造。
<大きさ> 礼拝堂の広さ:2700平方メートル
      中庭の広さ:4500平方メートル
      高さ:43m
      ドーム直径:22.5m
      ドームを支える4本の柱の直径:5m
      ミナレットの高さ:63〜68m
ミナレットが6本あるのはブルーモスクだけ。
アフメット1世が「黄金(アルトゥン)」と命じたのを「6本の(アルトゥ)」と聞き間違えた為という説がある。


入口


中庭からのモスク

やはり今まで見た街なかのモスクと比べると桁違いにでかい。


礼拝堂の中

薄暗い中、ステンドグラスから入る光が綺麗。
ぼんやりとした照明と相俟って幻想的。



柱と天井

これだ、この幾何学なタイル模様に私は恋焦がれていたのだ…!
内壁には約2万1000枚以上のタイルが使われているそうだ。17世紀当時、一枚のタイルが金貨7枚分相当…すごい。
そしてこのドーム型の天井の連なりはどうやって造ったのだろうと不思議になる。柱も少ないし。


外に出ると道路を挟んで向こう側にアヤソフィアが。赤と青の二つの巨大モスクが並んでいる様は壮観です。




地下宮殿
ビザンチン帝国時代の6世紀に造られた地下貯水槽。
大理石の円柱やレンガ造りのアーチが宮殿のように見えるため、地下宮殿と呼ばれている。
<大きさ> 幅:70m
      奥行き:140m
      高さ8m

28本の柱が12列並び、計336本の柱が天井を支えている。
当時は約8万立法メートルの貯水ができた。
貯水槽だけれど、やはりちょっと宮殿っぽい。
なんか、ディズニーランドなどのちょっとしたアトラクション気分。


メドゥーサの頭部像。
奥の2本の柱の下にメドゥーサが。
横向きと逆さま。柱の高さを揃える為だということだが、何故にメドゥーサ…。
目を見ると石になりますのでご注意を…。笑




アヤソフィア

アヤソフィア=「聖なる叡智の聖堂」ビザンツ建築の最高傑作。
325年コンスタンティヌス1世により、アヤソフィアの元となる教会の建築が始まり、360年コンスタンティヌス2世で完成。
幾度かの消失を経て、537年ユスティニアヌスの命を受け、6年かけてビザンツ様式の大聖堂が完成。
ビザンツ帝国終わりまで、ギリシア正教大本山として崇められていた。ギリシア語で「ハギア・ソフィア」
1453年、コンスタンティノープルが陥落すると、メフメット2世により、イスラムのモスクに変えられ、メッカの方向を示すミフラープなどが加えられた。
1700年代にはモザイク画も漆喰で塗りつぶされ、20世紀に発見、修復された。
1932年、博物館として一般公開された。
<大きさ> 南北:71m
      東西:77m
      高さ:54m
      中央ドーム直径:33m
元々はキリスト教会だったということに驚き。たまねぎ型ドーム=イスラム寺院というイメージだったからなあ。


入口のモザイク画

皇帝の門、と呼ばれる内廊から内陣への入口上部にあるモザイク画。
祝福を与えるイエス


聖堂内部

黄金に輝きいくつも連なるドーム天井はお見事。
壁画はけっこう剥がれ落ちているけれども。
円盤(直径7.5m)は全部で6つあり、唯一神アッラー預言者ムハンマド、4人のアッラー使徒の名が刻まれている。どれがどれだかは未確認…。


ミフラーブ

イスラム教の礼拝用の壁窪。メッカの方角を向いている。
黄金の装飾が美しいです。




二階へ上がり見下ろす。
広い。その広大さを再確認。
ドームの天井を一気に視野に入れるのは不可能だものなあ。



イスラム教とキリスト教が入り混じって不思議な感じの空間だった。元々起源が同じ宗教とはいえ、キリストモザイク画とアッラーの円盤が共にあることがあり得るのだなあと。世界にはまだまだ知らないことがたくさんあるんだろうとしみじみ感じ入る次第であります。





外に出たら猫が。
本当に至るところに猫がいる。
そしてついつい構いまくってしまう。






バスの車窓からぱちり。
あまり街中を歩く時間がないので、移動中に街並みを堪能。


マック発見!


トルコ語の看板や標識は何ひとつ読めない…。



トプカプ宮殿
入口

トプ=大砲 カプ=門
15〜19世紀にかけて、オスマン帝国の支配者スルタンの居城として建てられた。
約70万平方メートルの敷地。アヤソフィアのすぐ側。
ハレムや調理場跡などが見られる。また、宝物館では歴代スルタンの装飾品などが見られる。


ハレム

アラビア語でハラム(聖域)やハリム(禁じられた)が語源。
女性と黒人宦官以外は、スルタンとその皇子しか入ることができなかった。
つまりは大奥ってことですな。
エジプトから差し出された黒人の宦官が多いのは、もし万が一宦官と側室の間に子供が出来た時に、黒人ならばすぐに肌の色でわかるからだそうだ。
宦官の仕事は主にハレムの警備。
イスラムは一夫多妻制。スルタンには4人まで正妻がいた。

ブルーのタイルがそこかしこに。綺麗。さすがはハレム、どこもかしこも廊下すらも華美ですなあ。




スルタンのマザーの部屋。唐突にマネキンが…。




スルタンの大広間。
宮殿で一番華やかな広間というだけあって、とても豪華。




ステンドグラス。




果実の間。よく見ると果物が描かれている。食堂として使われていたそうだ。




これぞトルコ!ってな感じの美しいタイル。これだよこれ、私が胸ときめいて止まないのは。
ハレムだけでもなかなかの見ごたえがありました。




宝物館

人が多かったのと時間がないのとで、ざざーっと流し見。
きらきら派手派手な宝石やらなにやらがいっぱい。椅子から何から何でも輝いてればそれでいい!てな感じの煌き具合はさすがでございました。
3つのエメラルドがついている「トプカプの短剣」と、86カラットのダイヤがついている「スプーン職人のダイヤモンド」はしっかり目に焼き付けてきたぜ。
宝石などは撮影厳禁だったが、武器展示室は大丈夫だった。



イケメン兵士。




何故か日本のイケメン兵士も。
異国の地でまさか日本の鎧兜に出会うとは。




厨房跡

いくつもの煙突が並んでいるのが特徴の建物。
今は部屋の中は調理器具や食器の展示室になっている。
中には、伊万里焼きもいくつかあった。


これだけの広さ、とても一時間半なんて時間じゃあ周りきれないですわ…。
展示室ほとんどちゃんと見てないもんなあ。
いつかまた来る時があったらゆっくりと見たい。…どうだろう。





トルコの犬はでかし。





グランドバザール
土産物が並ぶ屋根つき市場。約4000軒もあるそうな。
店先を見てぶらぶらするだけでも楽しい。
騙されてもいい、と思えるくらいの値段のものなら挑戦してもいいかも、とガイドさん。全部が全部、という訳ではないがたまに怪しい所もあるとかないとか。

ここで父がタイルを購入。いろいろおまけをしてくれたり。ぼったくられるんじゃないかと始終おろおろしていたけれども割と皆親切です。まあ、多少はぼったくられているだろうが。向こうも商売だしね。お互いが納得すりゃあいいってことで。
それにしてもトルコ人は日本語うまいなあ。アジアの土産物の人は大体日本語を繰り出してくるけれど、トルコ人は特に語彙が豊富な気がする。
そしてお世辞も上手い。かわいいかわいい、アナタが好きデス…とかとか、まあ悪い気はしないけども(笑)かといって財布の紐は決して緩めないけども!
そういえば、カイマクル地下都市の土産物屋で10歳くらいの男の子に「持ってけドロボー」と声をかけられた。誰が教えたんだそんな日本語…。




夕食はオリエントエクスプレス終着駅のレストランにてオスマントルコ料理を食す。
世界三大料理に数えられるトルコ料理とは、このオスマントルコ料理のことだそうです。
普通、に旨い。

オリエントエクスプレス。

…といえばアガサクリスティを思い出す。