トルコの旅7日目

chianchun2008-05-13

朝、ホテル横の海岸を母と散歩。
早朝のエーゲ海から風が。テーマソングはジュディ・オングの「魅せられて」。
Wind is blowing from the Agean〜 女は海ぃ〜
トルコで一番長い海岸線はエーゲ海なんだそうな。


7:45出発。
約2時間半の移動でトロイ遺跡へ。
トロイに集落ができ始めたのはBC3000年頃。
BC2500〜2000年頃にはエーゲ海岸の交易の中心地として繁栄。
その後繁栄と滅亡を繰り返して合計9層の都市遺跡が折り重なって形成されている。
トロイ戦争(BC1200年頃)が起きたのは第6市。
ホメロスイーリアス」で有名な「トロイの木馬」の伝説を信じたドイツ人シュリーマンがこの遺跡群を発見した。
シュリーマンは幼い頃から宝物を見つけるのが夢で、伝説にある通りに海沿いを探していた。でもなかなか見つからない。
ある日平原を歩いていたら小高い丘を発見。ピンと来て探索してみるとそこには遺跡が。
海岸線が長い時を経て移動していたため、なかなか見つからなかったらしい。
発見されたのは実はトロイより古い第3市の遺跡だということが後に判明した。
シュリーマンは大変に功績のある有名人なのだそうだが割と大胆なことをしでかしていたらしい。
早く宝物を見つけたくて、ぼかぼかと爆弾で遺跡を爆破して発掘していたという…なんたる!ちょ、ちょっと落ち着いたらどうだい!などと素人の私ですら言いたくなってしまいますよ。




入口にある巨大なトロイの木馬
これはあからさまに観光用の建造物。でもわかりやすい。




遺跡の入口。塀が続く。
一部、違う年代の遺跡の塀が二重になっている。




神殿だか何かが建っていた跡。…そう言われても全然わからないー。
土台はかろうじて残っているものの皆気にせずに踏みまくり。
海外の遺跡とか建造物って、割と勝手に触ったり登ったりしていいものがあるのが不思議。
日本じゃあ考えられないだろうなあ。




こんな平原の中にあります。




ローマ数字が、第何市かを示している。
年代の違う9つの遺跡がごちゃごちゃに入り混じっているので何が何やら。
都市が滅んで長い年月を経て風化した所に、「お、ここに街つくろうぜ」とまた新たに都市ができ、そしてまた滅んで風化、「お、ここに街つくろうぜ」……みたいなことが繰り返された模様。
前の遺跡の上にそのまま建てちゃうもんだから、地層のような有様になっているんですな。9層もの。
ちょ、ちょっと落ち着いたら…!




半円形の劇場。
これはまだ面影がだいぶ残っている方かもしれない。
そして手前に元柱らしき石がごろごろ。
一応残してあるが、復元するのは99%無理だろうということです。
何故なら、シュリーマンが爆弾で木っ端微塵に……
全体的にうすぼんやりした印象の遺跡であった。
昨日のエフェスのようにわかりやすいと有難い。
でも、トロイは世界遺産だけどエフェスは世界遺産ではないんだそうだ。
うーん、ど素人な私には基準がよくわからん。
まあトロイの木馬伝説は有名ですもんね。



イスタンブールへ約6時間の移動。
途中、30分ほどフェリーに乗り、マルマラ海エーゲ海を結ぶダーダネルス海峡を渡る。

風が気持ちよい。
少しはまり気味なアイランを飲みつつ海越しの町並みを眺めてみたり。
フェリーで渡ったところがもうイスタンブールかと最初は勘違いしていたけれど、渡ってからもしばらくバス移動が続く。


移動が長いので、ガイドさんのトルコ話を拝聴。
トルコ人は元々遊牧民だったためか、「明日は明日の風が吹く」の精神である。
長生きするよう気をつけるより、旨いもんをいっぱい食って早死にしたる!!くらいの勢い。
まとまったお金が入った時に喜び勇んですぐに車を買ったものの、次の日ガソリンを入れるお金が無い…とか。
地震国なのにレンガ造りの家が多いのもその国民性かもしれない。
流行り廃りも激しい。携帯電話も急激に流行っているらしい。
でも、未来は神様が助けてくれる!!という前向きで若干他力本願な心意気は素晴らしいと思うよ、うん。
都会と田舎の生活様式の格差が激しい。田舎で同棲や離婚は難しい。男尊女卑の風潮がまだ根強いから。田舎へ行けば行くほど外に女性の姿はない。
各村に男性専用の喫茶店がある。女性は家の中でお友達とお茶。
玄関の表に瓶が出してあったら、その家にはお嫁に行きたい娘がいるという印。娘を欲しい男は銃で瓶を割って意思表示。でももし娘がNOだったらその上にまた新しい瓶を乗せる。ある地方では、結婚したい娘は父親の靴を玄関に釘でうちつけたり皿を割ったりするという。その意味は「結婚のことばかり考えているので、頭がおかしくなっています」
結婚式は10日間。ロバに乗って自分で作った花嫁道具を持ってくる。…これは田舎のしきたりかな。そしてお墓参りに行き、先祖に長生きを祈る。双方の家でパーティー
人が死んだら、遺体を清めて白い布で巻く。棺に入れ、モスクの前の大理石の台に置く。棺の周りに集まり、牧師が「この人はどんな人だったか?」人々は大声で「いい人だった!」と答える。声が小さいと地獄に行ってしまう。「借金はあったか?」「ありません!」本当にあったとしてもなかったことにするのがトルコ人の素敵なところね。それから棺を霊柩車に乗せて墓地へ。車から降ろし、棺の下に棒を渡して皆で運ぶ。棺から出して顔をメッカの方角に向けて土葬。
でも、トルコ人はあまり墓参りに行く習慣がない。現世と来世を比べたら来世の方が神に近いから、邪魔をしない方が良いという考えらしい。
義務教育は8年。小学校5年間、中学校3年間。
国営会社を民営化に!!という動きが盛ん。でもなかなか難しい。今の国営会社の体質は、壁に釘を打つ時に一人が釘をもち一人が金鎚を持ち、あと50人が壁を押す!みたいなそんな感じ。どこの国も似たようなものなんだなあ。
トルコにはトラックが多い。ヨーロッパ全部のトラックの数と同じくらい。バスも多い。鉄道は発達していない。鉄道を作ろうとしても路線バス会社が阻止するとか。ガソリンを使うようにさせるためのアメリカの陰謀…?という説もあったりなかったり。
国道の制限時速は90km/h。高速道路には制限なし。ただし、大型バスなどは110km/h。
エーゲ海にあるレズボズ島という島は「レズビアン」という言葉の元。ギリシャ神話では女性しか住んでいなかった。




「だーから、旅行記なのに薀蓄長いってば!」
…すみません。


昼食はキョフテという小さいハンバーグのようなもの。

チーズ春巻きのような、シガラ・ボレイが美味しかった。
いつも飲み物はチャイを頼んでいたのだが、少し飽きてきたのでフルーツミックスジュース。
甘いけれど美味しい。デザートのオレンジも美味しい。


6時過ぎにイスタンブール到着。
イスタンブールはもう一つのトルコ、と言われている。人口1400万人程。ただし、違法建築(ゲジェコンド)に住んでいる人は人口調査の中に入ってはいない。
トルコの経済の60%を占めている。
名前は3回変わっている。2700年前、ビザンス。1670年前にローマ帝国の首都をイタリアのローマからビザンスへ移し、皇帝の名を取ってコンスタンチノーブルとなった。今はイスタンブール
黒海マルマラ海を結ぶボスポラス海峡を挟んでヨーロッパ側とアジア側に別れる。また、ヨーロッパ側は金角湾を挟んで新市街と旧市街に。旧市街に歴史的建造物が立ち並んでいる。
やっとイスタンブールに着いた!やはり一番楽しみだった場所なのでね、血沸き肉踊ります!が、とりあえずはホテルへ。そしてすぐに夕飯。
夕飯は劇場レストランにて、ベリーダンスと民族舞踊を見ながら。
ベリーダンス、直訳すると腹踊り。やはりベリーダンスはいい具合に腰周りに肉が付いていた方がセクシーだなあ。あまり細いと魅力半減。

民族舞踊のお兄さんはとても顔が濃ゆいのにすごく華麗に足が上がっていて素晴らしかったです。ていうか、顔の濃ゆさと足の上がり具合には何ら関係性は無いですけれども。
ちなみご飯はいまいち…でございました。