文芸漫談『楢山節考』

奥泉光×いとうせいこう『文芸漫談シーズン4』 深沢七郎楢山節考」 in北沢タウンホール
に行ってきました。


楢山節考」が姥捨て山の話だということは朧気に知っていたので、さぞや陰鬱で悲しい物語なんだろうと思いながら、この文芸漫談に向けて初めて読んでみた。
これは…すごい。
むしろ中盤まではちょっと笑えたりなんだり…とまどいつつも。
テーマがテーマであるけれど、あからさまなお涙頂戴的な書き方では全くない。
だからこそラストの雪のシーンが胸にぐっとくる。
これは手ごわい小説だわ。いい意味で。
とにかく、もうすぐ「楢山に行く」おりん婆さんが明るい。
一刻も早く楢山に行きたい、行く時には「歯も抜けたきれいな年寄り」で行きたい、と丈夫な己の歯を石で砕いたり。
こっちからするとちょ、ちょちょちょっと…!てなもんなんだが、おりんはひたすらに楢山行きを楽しみにしている。
「わしは山へ行くとしだから、歯がだめだから」と自分で欠けさせた歯を嬉しそうに見せたり、楢山に行かせたくない様子の息子を見るや「倅はやさしい奴だ!」
おりん、かわいい。
もちろん姥捨てや口減らしをせざるを得ないぎりぎりの生活の寒村という背景は壮絶なものだが、からっとしている。
この小説の肝となっている「楢山節」は作詞作曲が深沢七郎自身で、譜面までついている。
楽譜は辛うじて読めるもののてんで音楽的素養が無い私にはどういう節なのかいまいちわからなかったのでがっかりしていたらば、奥泉氏がしっかり譜面を起こして唄ってくれた。さすが。
なんというか…ど演歌!
でも譜面には「ギター フラメンコ風に」と書いてある。
フラメンコ風て!
信州の寒村の姥捨て山でフラメンコて!
これ…最大のオチかもしれん。
もうひとつの「つんぼゆすりの唄」も唄ってくれた。
泣きやまない赤ん坊や、楢山へ行く時暴れる老人を背負いながら歌う歌で、「六根清浄」の意の「ろっこんろっこんろな」で強く揺するらしいけども、どうにも強く揺するような節回しではないということが判明。
「ロックオン!」ってことだよ!この唄はロックだ!(byせいこう氏)
…すんごい笑った。
確かにこの村人たちは心持ちも生き方もロックなのかもしれない。
…よくわかんないけどロック。


覚え書。
 民話的な枠組みの中で、接写する近代文学的書き方
 歌で背景を説明し、物語と歌の両輪で推進していく構造がとても巧い
 平安時代の歌物語は貴族文化だが、それを 山国の貧しい民衆たちという謂わば真裏でやっている
 「楢山節『考』」というのがまた巧い
 民俗学的見地でもって、山国のローカリティがよく書かれている
 深沢七郎はギタリストなだけあって耳がよい、会話が生きている
 閉鎖社会の風習や掟は前提として、あきらめの境地
 掟は絶対であるが、距離感は人それぞれ。ここが近代小説的。掟絶対、だけを描くと民話に近づく
 おりんの楢山行きに対する楽しみ方は本気であり、アイロニーではない 
 往生際の悪い隣の又やんのほうがむしろ人間的であるとも言える
 息子がおりんを楢山に置いて別れてから雪が降ってきた時に「雪が降ってきたことをおりんと語り合いたい」という、掟を破ってまでも引き返す人間としての欲求が美しい
 ここで「雪でおりんは寒かろう、やはり不憫だ」と引き返すとしたら凡庸
 人間は悲しい存在であるからこそ、そこにパワーがある
 どんなに悲惨なことでも書かれた時点で視点がずれて別のものになり、そこに希望がある
 だからあえて小説に希望を描く必要はない
 「でもついつい希望を付け足してしまうんですよねー」(by奥泉氏)


そういえば、奥泉氏の小説が来年1月期に主演佐藤隆太でドラマ化するそうです。
楽しみだー。
次回の文芸漫談テーマは「アンドレ・ジッド『法王庁の抜け穴』」…し、知らない。
海外文学はてんで、てんでなんすよ…!
が、がんばる。きっと頑張ります…!