人間失格

映画公開にあたり、少々悩んだものの『人間失格』を再読しました。

人間失格 (集英社文庫)

人間失格 (集英社文庫)

ありゃ、今の集英社文庫の表紙ってこんなことになっているのか…!


以前は確か二十歳やそこらで読んだんだが、葉蔵自ら押した烙印「人間失格」をストレートに受け止め、葉蔵の周りの女性たちにすらなにか嫌悪感めいた感覚を抱いたりもした気がする。
打ちのめされて引きずられて暫くは浮上できない…!などと、今思うと過剰とも言える若さ故のあまずっぱい感受性を存分に謳歌しとりました。
それも勿論貴重な読書体験だけども。
ていうか、むしろ、その気になれば今の方が当時よりもっと真剣に刺さりますから、大怪我ですから…!
いや、それはさておき、やはり歳を重ねて改めて読むとまた違った感じ方が出てきますねえ。
思っていたより面白く読めたかも。



葉蔵はある意味もんのすごく人間くさいと思うんであります。
女酒薬に塗れて「廃人」というのはまあ字の如くで、所謂「社会」「一般」「規範」に照らすと、断然マイノリティ寄りであります。
でも、自分は道化だ、世間から外れた人間だ、駄目な人間だ、というのは多かれ少なかれ人間が往々に持ち得る感覚なんではないかと。
後ろ向きではあるが、自分を特別視するのは自己愛の裏返しであるし。
人間くささも振り切れると人間そのものではなくなってしまうのかもしれない。
葉蔵は「世間とは個人じゃないか」という思いを抱くようになるけれど、世間=人間(じんかん)を恐れるがあまり、限られたごく狭いものだけを世間と定め、そしてさらにその世間にも相対することが結局できない。
人間失格」は、世間を受け入れられず、世間から受け入れられなかったということなのかもしれない。
人間が人間であるためには、人間(じんかん)で生きられないとならないのですねえ(ややこしい)
再読するまで女狂いで身を滅ぼす印象ばかりが強く残っていたけれど、葉蔵は決して女性を心の底から求めていたわけではなく、結局ずっと父親からの許しを求めていたんですよね。
父親の死によって苦悩する能力すら失ってしまう。


切ない。



【人間】
(1)(機械・動植物・木石などにはない、一定の感情・理性・人格を有する)ひと。人類。
(2)(ある個人の)品位・人柄。人物。
「なかなかの—だ」
「あの人は—ができている」
(3)人の住む世界。世間。世の中。じんかん。
「わがすることを—にほめあがむるだに興ある事にてこそあれ/大鏡(実頼)」



堀木と言葉遊びをする下りがとても興味深い。
喜劇名詞、悲劇名詞。
同義語、対義語。
葉蔵は「罪」の対義語はなんだと模索しながらドストエフスキーの『罪と罰』に思い至るのですが。
罪と罰」。
これはこの小説の根底に流れているというか、葉蔵が、太宰自身が強く意識していたんではないかなあと思います。
「罪」の対義語かあ、「罰」は割としっくりくるけども…うーん。
「無垢」とか。
考えるとなかなか面白いなあ。