文芸漫談 武蔵野

奥泉光×いとうせいこう『文芸漫談 SEASON3』 国木田独歩『武蔵野』」に行ってきました。
この前行った「砂の女」がなかなか面白かったので、国木田独歩を読んだことがないという致命的な状況ながら今回もおそるおそるチケットを取ってみた。
いや、辛うじて直前に「武蔵野」は読んで行きましたが。
いまいちぴんとこないんだ、国木田独歩
とりあえず、自然と散歩がお好きなんですよね、くらいの認識。
ラーメンズの「日本語学校アメリカン」で賢太郎さんが「クニキダドッポドッポンギ!」って叫んでたよね、くらいの認識。
そんな認識だったけども。
国木田独歩って「明治時代のサブカル王」(byいとうせいこう)だったのですなあ。
森の中に隠遁してひっそりと執筆しているようなイメージだったけども、雑誌をいくつも立ち上げて何冊も編集をかけもっていたらしい。
独歩が立ち上げた漫画雑誌、その名も「上等ポンチ」。上等ポンチて…!
なんだか一生忘れられない響きだわー。
で、肝心の「武蔵野」であります。
ちなみに当時の武蔵野には今の渋谷世田谷あたりも含まれるとか。
若者が仰山歩いているセンター街も昔は田や林で、そこを独歩がふらふら歩いていたとか…今となっては全く想像できないなあ。
渋谷村に住み、日記を書いたりなんだりしつつ、二葉亭四迷訳のツルゲーネフ「あいびき」の景色描写を引いて武蔵野の落葉林の美しさを解するに至ったこの部分。

「これは露西亜の景でしかも林は樺の木で、武蔵野の林は楢の木、植物帯からいうと甚だ異ているが落葉林の趣は同じ事である。」
「これは露西亜の野であるが、我武蔵野の野の秋から冬へかけての光景も、凡そこんなものである。」

独歩、ロシアと武蔵野をいっしょくた…!
ここは突っ込まない訳にはいかない。
しかし奥泉氏曰く、例えツルゲーネフの描写が林でなく砂漠だったとしても、独歩は「凡そこんなものである」と思ったに違いないと。
武蔵野の「美」を追求していた独歩にとって、二葉亭四迷訳の文体、つまり言文一致体(口語体)が目から鱗だったのだと。
新しい美の発見=言葉の発見、というのは何となくわかる気がする。
それまでの日本文学の文語体は形式があって引用から成り立っており、美しい林といえば松林!みたいに「美」の表現にも型があったのが、「今ここいる自分」的な言文一致体においてはそんなの関係ないじゃん自由じゃん!現前レペゼンひゅー!!…と独歩が思ったかどうかは定かではないが、言文一致体との出会いによって「美」の表現の可能性を広げた、ということらしい。
散歩=見ること。
自分が今見る景色が次々と移りかわる散歩文学には確かに言文一致体の方が適しているかもしれない…とな。
現代小説を読みなれている、というか文語体など知らない私からすると言文一致体が当たり前すぎて、二葉亭四迷訳のその文章にも独歩にも古さを感じてしまったりするけれど、当時においては新しかったのですねえ。
『武蔵野』には表題の「武蔵野」を含めて17編の短編が収められているのだが、この一冊で文語体から言文一致体に移り変わる様を、近代文学の変遷を見てとれるそうです。
まだ半分ほどしか読んでないから是非とも読んでみよう。
今渋谷を闊歩している若者が「武蔵野」を読んだとしても「で?」となるに違いない!とお二人が言っていたが、確かになあ。
筋らしき筋がない、どきどきわくわくがない。
私も面白かったかどうかと問われると正直微妙なところ。嫌いではないけれど。
いい旅夢気分」が面白いと思えないタイプには「武蔵野」はピンと来ない!とお二人が力説しておりました。
いい旅夢気分」見たことない…!
なんか、人情味がなくてマイペースで淡々としている旅番組らしい。
いい旅夢気分」派には、「田舎に泊まろう!」はドキドキするから駄目なんだそうで。ほお。
奥泉氏曰く、大人になるにつれて経験や知識が増えて言葉のイメージの厚みが違ってくる、言葉自体の手触りで楽しみを得ることができると。
きっと私はまだドキドキと筋を求めている派だ…!
まだまだひよっこでごわす。
でもまだいいんだ、まだ知識や経験や読書量を重ねる修行の身ですから!
そしていつか、いとうせいこう氏のように「筋があるものはもう読み飽きた」って、私もいつか婆さんになったらでいいから言ってみたい…!
先日、野間文芸賞をめでたく受賞した奥泉氏ですが、「三人称のリアリズム」が課題なんだそうです。
風景に溶け込む人を「画」としてそのまま描くことはできるが、人と人との関係を描こうとすると通俗的になってしまう、ということに近代日本文学はずっと苦しんできたとかなんとか…ううむ、私にはよく、わからん…!
とりあえず、がんばって下さい、と、陰ながらエールをば…。
そして、受賞作は是非とも読んでみたい。

あ、ちなみに本日「上等ポンチ」に並んでツボだったワード。
・「上等ポンチの「ポ」は独歩の「ポ」!」(byいとうせいこう
・「DOPPOの「P」はiPhoneの「P」!」(byいとうせいこう
誰もが動画を即座に流せる現代、放送が散歩になっている。
国木田独歩が現代にいたら、散歩しながらiPhoneとかを駆使しているに違いないよねえという。
・「人はそんなに綴じないです」(byいとうせいこう
卒業論文提出締切日に論文を3時間かけて穴開けして綴じていたという奥泉氏の教え子への秀逸な突っ込み。


漫談を締めくくる、奥泉氏の即興フルートと、いとうせいこう氏の朗読のコラボが今回も大変に素晴らしかったです。


次回4月の文芸漫談は、三島由紀夫仮面の告白』。
おお…、三島由紀夫
これは「武蔵野」よりは入りやすいなあ。
また行きたいです。


武蔵野 (新潮文庫)

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