終わらない旅

是枝裕和監督のCoccoドキュメンタリー映画「大丈夫であるように」を観ました。
涙が止まらなかった。
感動、というのもちょっと違うかもしれない。うまく言えない。
Coccoという「唄うたい」を、そして「一人の女性」を一歩離れたところからひたすら撮り続けているのだが、まず、是枝監督の目線と距離感が素晴らしいと思った。
最後、沖縄の海を見下ろしながらのインタビュー、というか、一歩踏み込んで話を引き出したのが印象的。


本当にCoccoという人はまっすぐな人だ。
そしてとてつもなく強い想いで、沖縄やファンや痛みを感じている人たちやこの世をとりまく全ての幸せを願っている人なんだと思った。
彼女なりの方法で祈り、愛し、行動し、唄う。
でも彼女は、自分は無力であると言う。
沖縄と同じような痛みを背負う、核再処理施設がある青森の六ヶ所村の存在を知らなかったことに対して自責を感じている。
2008年1月の武道館ライブ終演後、自分の無力さを痛感して楽屋で号泣していたなんて想像だにしなかった。
びっくりした。
ステージの上で唄う彼女はとても力強くて楽しそうでかわいらしくて、そしてそのライブが私もすごく楽しかったから。
最後に客席に向かって力強く「生きろー」と叫んでいたのは、自分に対してでもあったのかもしれない。
この世界の痛みに対する強い責任感や幸せへの祈りや愛が、私の想像力では間に合わないくらい深くて大きい。
場合によってはとてつもなく不器用なのかもしれない。
その生き方や想いの強さを痛々しく感じる人もいるかもしれない。
世の中には彼女の100分の1も考えずに、痛みを知らずに生きている人なんてごまんといるだろうに。私もそうだ、きっと。
そこまで全部背負わなくてもいいのに、とも思う。
でも決して彼女に対してそんなことは言えない。
それが彼女であり彼女の生き方であり、私はそんな彼女に惹かれ、無責任で申し訳ないけれど「応援したい」と思うからだ。
浜辺でファンレターを燃やす姿を見て、復帰した年に出した「陽の照りながら雨の降る」という唄の「託さないで あなたを」という歌詞を思い出した。
手紙を燃やすのは決してファンを見放すことではなく、全ての想いを真摯に受け止めた証の彼女なりの儀式なのだろうと思う。
やはりCoccoは、まっすぐな人だ。
こういった彼女の世界との向き合い方にばかりつい目がいってしまうけれど、息子や道端を歩く子供にかける言葉とか、三線にあわせて踊る姿とかが、ああCoccoも普通の母であり普通の沖縄の女性であるんだなあと。
そして茶目っ気溢れるかわいらしい人だなあと、嬉しくなった。
早く彼女の体が健康になるといいなと心から思う。


今の私は、毎日毎日を無事に終えること、生活を続けていくこと、とにかく自分のことで精一杯だ。
とても彼女と同じようには世界に向き合えない。
それに私の器では到底足元にも及ばないし、きっと全く同じように生きたいとは思わない。
そりゃ違う人間なんだから土台無理な話だ。
でも、だからこそ、私にできることをしたい。
そういった思いを忘れないでいたい。
毎日を無事に終えることだって大切なこと。
そこからさらに、どんなちっぽけなことでもいいから、できることを増やしたい。
前へと進みたい。
いろんな世界を見たい。


空を見上げたら足元を見て。


大丈夫であるように。